小林舞夢選手独占インタビュー(前編)

7月某日、小林舞夢選手の公開練習が名城大附グランドで行われて、そこにお邪魔してきました。

その時に独占インタビューをさせていただきました!

聞き手は私、細川浩平(コウ)です。

前後編でお送りしたいと思います。まずは前編。

-先日中日スポーツに記事が載りました。反響はいかがでしたか?

友人や知り合い、親戚等から多く連絡が来ました。

-関係者等から接触はありましたか?

あるスポーツ紙の方からインスタにDMがきて、また取材をしたいとの接触がありました。また受けられたら、と思っています。

名城大附高校時代の記憶

-名城大附高校時代を振り返ってみて、どんなチームでしたか?夏は初戦負けということが先日の記事では強調されていましたが。

自分の代は当時の渡邉監督(現副部長)もかなり期待をされていて甲子園にも行けるのではないかと言ってくださっていた代。秋と春も県大会には出ているチーム。打力もあっていいチームでした。1回戦負けしたのが今でも信じられないくらい。初回に点を取られてずるずると行ってしまったという・・・。知立東には左のエースがいて好投手ということで対策をしていたのですが、そこで(先発で)右の2番手が出てきて、あれ?と思っている間に失点も重なってずるずると行ってしまったという・・・。

-どこで試合をしたか覚えていますか?

岡崎か瑞穂かだったか・・・。記憶が分からなくなっています。(実際はパロマ瑞穂)

-2年生の秋に自分がたまたま見た試合では試合に出ていなくてピッチャーの控えだったと聞きましたが?

当時エースで杉山というのがいて、その2番手3番手くらいで投げる感じ。徐々に野手起用が増えて野手でスタメン、時々投手で投げるという感じでした。

アメリカへの大学進学と野球

-高校卒業後、大学は初めからアメリカに行く予定でしたか?

すごく難しいのですが、先日の取材で話をしたとおり、中学の時に1ヵ月留学をしてアメリカという視野は最初からありました。高校3年間野球をやって、いい成績が残せればそのまま野球をやめる気持ちもあったのですが夏の結果が不完全燃焼となってしまって・・・。元々英語が好きで英語の勉強をしたかったのですが、少し考えて、親からも英語と野球、両方やれるようにアメリカというのはどうだ、と提案をされて、それを目指すことになりました。卒業してすぐ、エージェントを通じて7月くらいに野球のトライアウトがアメリカ行われて1週間3試合参加して合格という形でサクラメント市立大からオファーをもらって入ることになりました。

-アメリカの大学というのはオファーをもらって入るものですか?

色々種類があって、自分から希望して入れるところとオファーがきて入れるところとあります。サクラメント市立大は後者ですね。

コロナ禍の影響

-短大からワグナー大に編入を経て5年かかったというのは理由がありましたか?

1年目は普通に過ごして、2年目の15試合が終わったところでコロナ禍になってしまって、試合等全てが止まってしまった。授業もオンラインに変わって、街もロックダウンしてしまって2年目がそれで終わってしまった。3年目になってコロナが落ち着いてきて、本来40試合くらい行われるところを15試合くらいになってしまいましたが、それでもリーグ戦が行われてそのシーズンの成績が良くてワグナー大からオファーをもらって編入した、という経緯です。

ワグナー大学時代

-最後の学年でホームランが増えていた(2本→7本)のですが、それはそこを目指したのか、自然とそうなったのか。

3年生と時に打率が3割2分、ホームランが2本。監督の方から次の年は長打率が伸びるといいなぁと。打率も3割5分くらい打ってほしいと。その時にMLBから話も来ていて、次の年に成績が伸びれば可能性はあるよ、と言われていたので、長打率にこだわって伸ばそうと考えました。日本のNPB関係者からも同じように3割5分くらい打って、OPSが上がれば日本での指名の確率も上がるよ、と言われたのもありました。その結果、打率は下がってしまいましたが、長打率が上がって、OPSも前年より伸ばすことが出来たので、そこは良かった。

-打率とどちらが評価されるのでしょうか?

難しいですね。ただ2ベースが今年は15本打って、前年の9本から大幅に増やせましたし、パワーは付いたと思います。

-身体を作るうえでアメリカでは自分で考えて作っていくのでしょうか?大学から指導が入るものでしょうか?

身体を大きくしようと考えたのはコロナですべてが止まってしまった時でした。それまでは体重が70㎏ぐらいでしたが、今は76㎏。コロナで部屋にこもることが多くなり、YouTubeやダルビッシュさんが読んでいる本等を読みあさって自分なりに身体を大きくする方法に取り組んでいきました。ワグナー代に編入したころは一気に体重が増えて83㎏くらいまでいきましたが、そこから適正体重を探して徐々に絞って現在の体重になったという形です。

-あまりでかすぎても良くないという感じでしたか?

自分は背もそんなに高くなくて、プレーとしてもスピード等日本人らしい動きを監督からも求められるので、でかすぎて動けないのはダメということで、スピードとパワーのバランスを求めて適正体重を模索したという感じです。

更に高いレベルへ

-NPBを目指すうえで自分の武器はどこだと思いますか?

打撃を一番見てもらいたい。長打率は上のレベルになると下がるかもですが、出塁率には自信があります。

-四球を選ぶのが得意?

自分としてはデッドボールを取るのが得意なのです。攻めてもらって、死球をもらう。粘って粘ってインコースを攻めてもらって死球を取る。去年も今年も死球が多かった。

-デッドボール!デッドボールって怪我も怖いと思いますが。

しっかりと練習して、怪我をしないところで受けるように取り組みました。日本ではそういう練習はしないと思いますが、アメリカでは(報復等の)故意死球とか普通にあるので、そこで怪我をしないために背中の筋肉で受け止めるという練習があります。

あと守備であれば肩を見てほしいですね。

同じ留学生のドラフト候補

-アメリカでドラフト指名された西田選手とは同じリーグとかでしたか?

同じディヴィジョン1という1部リーグでプレーしていた選手ですね。カンファレンスは違います。年齢は2つ下になるのかな。年齢が若い分、期待値が高く指名されたのかな、と。

-西田選手は向こうの学年で行くと3年生になるのですか?

そうですね。juniorという学年なので3年生です。3年生からはドラフト対象内となり、指名された選手は休学等してMLBに入るという感じになります。西田君も契約書にサインすれば、そこからMLBに入ることになるかと。

日米野球について

-先日の日米野球が行われた際に小林君がツイートしていて気になったのですが、それぞれ日本とアメリカで年齢や学年にギャップってあったのですか?

そうですね。日本は4年生が中心で3年生が少し、という感じでしたが、アメリカ代表はドラフト会議が近いということもあって、ドラフト対象の選手は出ずに、その下の選手が中心でした。ですので2年生が中心で、そこに3年生、1年生が少し入っているという状況。今回の代表戦では年齢のギャップというのは正直ありました。

-ということは、こういう時期にやるアメリカ代表というのは、来年以降のドラフトを見据えた選手たちということなのでしょうか。

そうだと思います。だから日本が勝った、というのはうれしいですけど手放しで喜ぶことには少し違和感があります。

-勉強になります(笑)

後編に続く

日本人と違う構えからすっとバットが出ていくところに特徴を感じる打撃フォーム。

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